雪が降ってきました。雪が積もると、人形峠の放射能値(ガンマー線)が下がるそうです。
何でだろう?何でだろう?とずーと思っていました。
雪の結晶が六方晶体だからです。六方晶体のものほど、グラヴィトンが出やすいというか、写りやすい、反射しやすい、入りやすいのです。グラヴィトンは非常に小さい素粒子です。そしてそれは、黄金率の法則によっていくらでも小さくなります。だからグラヴィトンとは無数の鏡だと思ってもさしつかいないでしょう。その無数のグラヴィトンに光、オリジナルな光というか自然の光というか宇宙の光があたるわけです。だから小さければ小さいほど光の速さが速くなるわけです。光の速さが一定だという定説はこれで壊れます。そしてその鏡がきれいに磨かれていればいるほど、または澄んでいればいるほどそのオリジナルの光というものが鋭く通り抜けたり、乱反射したり光の芸術が広がるのです。そうすると大気汚染も減少するのです。なぜなら全ては光で出来ているからです。ちょっとした汚点も無数の鏡にあたれば、消えてしまうのです。それはちょうどちょっとした影も光にあたればなくなるように。私たち人の頭脳も骨(カルシウム)もまた最近よく言われるたんぱく質の70%をしめるコラーゲンもすべてクリスタル構造をしているのです。そうちょうど雪の結晶のごとく。だからもちろん、オリジナルな光だけでなく、どんな情報でも入ってしまうのです。しかしその無数の鏡を磨く事を怠ると、影の部分が増えてきます。そしてそれがいつのまにか、汚点となってしまうときもあります。またいつもオリジナルの鋭い光ばかりが、きりのない黄金率の法則により、より細かな素粒子のグラヴィトン鏡にあたりつづけると個性も何もなくなってしまい、全ては真っ白な光にかわってしまうかもしれません。それが宇宙の光との一体化なのか、いわゆる神との合体だとしたら、それこそ宇宙のどこにでもいける意識体と化するでしょう。しかしそんな考え自体が陰りを生み出すようです。つまりある薄い影となって存在していくのですから、なかなかというか、むしろ真っ白な光になる事自体が不可能なのかもしれません。全ては影のようで、またそれは光の一部なのです。雪などの自然界が光の芸術作品であるように、私たちも汚点ではなく、そのような光の芸術を習得してはいかがなものでしょうか?  それこそがグラヴィト二クスなのです。磁石のデヴァイスからでるグラヴィトンは個々の人にそのグラヴィト二クスの習得をうながすものなのです。だから、写真家、陶芸家、音楽家等あらゆる芸術家はもちろん、感性の強い人ほど、またこんな風な清い美しい想像が現象化したらいいなあと思う人達が、徐々に、徐々に、不思議な出会いを通して、体験し、体感し、感動が感動を生んでいくのでしょう。

私たちが提供しているのは、その機会と無限の可能性なのです。


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