New Paradigm(ニューパラダイム)

  2004年9月4日 窯元へ1230℃の模様を見に、また500万画素数のデジカメにおさめるつもりで、
オーラの見える感覚の鋭い方と一緒に行った。今回は今までのグラヴィトンの備前焼の方法に加え、
ひとつとてつもない事を思いつき、窯元の作家にお願いしていたので、何かとてもわくわくしていた。
ひょっとすると世紀の大発見でもおきそうなそんな感じであった。ひとつの仮説と考えられるのがタイムスリップか次元スリップであった。
  午後7時半ごろ、窯元の近くの駐車場に車をとめ、そこから少し歩いて向かって行った。するとある境から急に非常に細かなグラヴィトンの波動を強く感じた。オーラが見える方はその感覚の描写にとまどっていた。そして窯のすぐそばにくるとその出所をはっきりと感じた。午後8時窯の温度計が1230℃にたっしたとき、窯元の作家がのぞき窓をあけてくれた。 なんともいえない炎と色であった。デジカメですばやくとった。この窯の特徴は、窯の中の実際の温度が、温度計と70〜80℃の差があることだ。つまり1300℃を超えているのである。また1300℃を超えると、備前焼の色がすごくいい色に焼けるといっておられた。通常、温度計の設定で1300℃以上にすると、焼き物が割れるという危険性を伴うし、何しろ1230℃から70〜80℃あげるのは並大抵ではできないのである。ところが、今まで何回もグラヴィトンの用紙を大量に入れて焼いてきたせいもあって、窯自体がグラヴィトン化していることは間違いないようだ。時々ほかの方々で、ここを訪れる方々が言われるのは、窯をたいていないときでも、澄んだ気持ちになると同時にすごく眠たくなるとよく言われるようだ。この作家にとっては、このグラヴィトン化した窯の性質も完全に理解しているようで、窯の中のこの部分が今までで一番高く、1300℃を超えているようだと教えてくださる。ところが今回だけは違っていた。温度が満遍なく、全体にわたって非常に高くなっているのである。どの部分も1300℃はもうすでに超えているというのである。またその場合、七色に光ったり、金色が焼き物にでたりするというのである。まきや炭をいれることでいろいろな色を出したりするのだが、七色に光ったり、金色がでるのは非常にまれだそうだ。そして今回はそれがでるという自信ありげなようすであったが、あえてそのことについては、窯を開ける時まで言うまいと思っているのがわかった。

 さてオーラが見える方が、窯のそばに立ち、感じるままを描写し始めた。『次元がわき出ている!次元がわき出ている!』と。私にはどうも理解しがたい表現で、何のことかさっぱりわからなかった。

 それ以来、その言葉の意味が何なのか、そしてこれはいったいどういうことが起きているのか体感しようと、また理解しようとしたがわからなかった。 

 でもある日突然、東海大地震が起きるという予報を出しているサイトをみつけた。9月5日にその決定的予兆とも思われる比較的大きな地震が起こった。それから9月14日か15日に大地震が起きるという予報を見た。

 そのとき、以前故政木和三先生が80歳の記念講演でおっしゃっていた「東京に大地震が起こる予定であったが、中村和尚のお祈りでそれがおきなかった。」という意味をふと考え始めた。

 故関英男博士が、時空間の次元に加え、周波数の違いによる時空間について説明されていた論文を思い出した。(以前私がGlobal Education PartIで書いていた。) 

 「あっそうか! 次元が違うんだ。だから時空間も違うのか!」
左脳ではある程度理解していたつもりでも、右脳ではその実感がなかったので、本当には理解していなかったのだった。
 
 もう一度、オーラが見える方が言った『次元がわき出ている!次元がわき出ている!』を考えてみた。

「そうか、共通次元時空間ではなく、各自動次元時空間なのか!」 
それはまさに、天動説ではなく地動説という見方がこれからは大切なのだということのように、これからは各自動次元時空間という見方が大切なのだということだ。 これがまさにニューパラダイムなのだ!

現実、世界観、宇宙観、周りの環境すべて各自の意識と感覚で成り立っている。つまり各自がグラヴィトンの鏡に意識(意識、無意識、半意識を含む)のままうつしているに過ぎない。感覚にいたっても、電磁波信号に過ぎないのである。またそれも記憶の中の感覚に頼っている場合が大半なのだ!それもそのうつし出しているのは各自である。故政木先生がおっしゃっていた『神とは生きている生命体の中にある。』という意味がやっとわかったようだ。各自が自由自在にうつしだせるのである。ところが先入観が強すぎて、そのことをわすれていたり、またその次元での描写がいっぱいすぎたり、メモリー量がいっぱいすぎて、にっちもさっちも行かないのである。だから次元を少し上げてやることで、まるっきり綺麗なキャンバスにうつしだすことができるのである。そのことを忘れてしまっているため、またその次元での執着が強すぎるため、次元移動が簡単にできない人もいるようだ。そうかみんな共通次元時空間に存在しているのではなく、各自動次元時空間なのか。次元は常に一定ではないのである。まして、今度のような備前焼の窯のように、『次元がわいて出ている!』ということは、これをもとに、各自の現実観、世界観、宇宙観、そしてまわりの環境観が高速で変化していくであろう。そしてそのことを体感することで、各自動次元時空間を理解することができるかもしれないということだ。もちろん、地動説を当時の人々が理解し、体感することはむずかしかったように、これも難しいかもしれないが、でもこちらの場合のほうが、各自で実験できるのではないだろうか? ともあれ、これこそまさにニューパラダイムではないだろうか?


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