部分と全体について(Parts vs the Whole)

  部分と全体について少し述べてみよう。『群盲象をなでる』ということわざがあるように、ひとつの見方や,一部分のみを触ってみただけでは全体像が分からないでしょう。『井戸の中の蛙、大海を知らず』になってしまう。私たちの現代の文明やテクノロジーも、井戸の中の蛙にしか過ぎないのかもしれません。人類の最古のものがこの前100万年もの昔のものだと、発掘と分析によって分かったという記事が新聞に掲載されていたが、そのことを考えると、マヤ文明の謎、ムー文明やアトランチス文明の存在の有無はさておいても,私たちの知らない古代の文明がどんなにテクノロジーの発達した優れた文明であったかを想像してもしきれないのではないでしょうか。簡単に100万年の人類の歴史というが、そのうちの1万年や2万年なんて本当にごくわずかな時代のことであって、それを考えれば、今のルネッサンス・産業革命を経てきた近代そして現代の文明は(たったの200ねんばかり)、ほんのわずかな部分にしか過ぎないわけです。自己中心主義や、自民族中心主義の時代をとっくに終わらせて、また自文明中心主義の観念からも早く脱出し、どの学問分野においてもmacro viewや全体的視野を養おうとする試みがないと、狭く固執した近代現代の常識の奴隷にならざるをえないでしょう。

 相補・代替医療やholistic medicineもその身体の健康というをものを、機械のようにpartsでできているという観点よりも全体を見ていこうという方向性を持っています。
borderlessの時代、global時代とは、絶えず部分というものよりも、全体を見ようという思考だと思われます。まさしく『心は宇宙の鏡』なのですが、そのことを絶えず意識していないと、ガリレオを裁いた王のごとく、自分がパニックになるのを恐れて、自由な発想を咎めたり、無視・中傷したり、無実の人を罰したりして、新しい文明の開花を妨げてしまい、後に後悔してもしきれなくなるでしょう。


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