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関英男博士との出会い(グラヴィトン)

 

1世紀も押し迫った、20001217日、中丸薫さんと関英男博士の対談を聞くために、主人は東京へ行った。

そもそもこの対談があるのを見つけたのは私で、当初主人に「こんなのあるよ。面白そうやん。私行ってみたいなあ。」というと、「子供がいるのに何で行けるん?」と案の定、却下されてしまった。それでも私は何故か、この対談の企画が気になっていて、どうしようもないくせにどうしても行きたくて仕方がない。

結局主人を口説き落として、代表で(?)話を聞いてきてもらう事にしたのだ。主人は「仕事も忙しいし、年末やんか…。」と、乗り気ではなかったのだが、日が近づくにつれて、楽しみにしてくれるようになっていった。

当日は、これまた何故か、祈るような気持ちで主人を送り出した。「この対談だけは、何があっても聞いてきてもらいたい。そして、あとの懇親会でできればあの『磁石』を見てもらって、何かヒントがあればいいのに…。」と思っていた。

帰宅した主人は、すごく興奮した様子で、ひと目で行ってきてよかった、というのがありありと感じられた。もともと私と違って、感情をあまり表に出さない主人にしてみれば、このときの様子は私にとっても、すごく印象的だった。

「ちょっと、ちょっと・・・。グラヴィトンや!グラヴィトンやってん!!」

「なに?それ?」

「重力子」

「は?重力って、ブラックホールの重力?

「ん?あれ?そうかな…」

「それがどうしたん?

「いや、だから、あの磁石から出てるの、グラヴィトンなんよ。たぶんそうや…。」

「え?分かったん?関先生に見てもらったん?

「ん?見てもらったけど、それは分からんかったみたい。しゃーないわ…あれだけの人の中でやったし、試すような時間ないし…。」

「じゃあ分からんやんか。何が分かったん?

「…。とにかく、本を取り寄せてみよう。」

「????」

なんだか主人一人だけ分かってるようだ…。よく分からん・・・何なんだこの人は・・・?

ともかくそのあと、その講演会と対談の話を聞いていると、どうやら20世紀はエレクトロニクス(電子)の時代だったが、21世紀はグラヴィトニクス(重力子)の時代になるだろう・・・ということは分かった。要するに、新しい、全く新しいエネルギーの時代がくる・・・という話だったのだ。

ただ、その話を聞いていると、技術的なことは、主人にしてみれば全くの専門外なので、何も分からないから話ができないのだが、この技術を広めていくに当たっては、なにやら「洗心」とか言う怪しげな(?)心がけ(?)が必要で、「だるま療法」とかいうのがあって、両手を一緒に前後に振ると、グラヴィトンが出るらしく、これを一日に千回続けていくとたいていの病気は治る、という話だった。それも両手を振りながら「洗心、洗心…。」と言いつづけると効果があがるとか…。「洗心」という言葉はいい波動が出ているから、その波動も病気の治療にいいらしい、とか・…。おいおい…、何か聞いてると、およそ科学者がいうような話じゃないんじゃない…?大丈夫?関先生でしょ?何か怪しい宗教にはまってしまったの?というのが私の正直な感想だった。

まあ、何はともあれ、その会場で関先生の著書があったのでその本を注文してきた。とのことだ。とにかく本が届いたら、読んでみよう・・・。それから判断したっていいじゃない…。

数日後、「心は宇宙の鏡」が届いた。その本にかかっていた帯のイラストを見て私は自分の目を疑った。「嘘やろ・…?何で?これってパパのあの『磁石』やん?何でこんなところに描かれてるの?

そこにあったのは、グラヴィトンのエネルギーの流れを図案化したものだったのだ。それはまさしく、私が直感で『磁石』から出ている「何か」をイメージした物だったのだ。私が想像していた「それ」が本の帯に描かれていたのだ。まるで「痒いところに手が届く」ような「これこれ!!!これやんか!!!」という感じ…。

びっくりした。あんまりびっくりして鳥肌が立ってしまった。これは、この本は間違いなく私がずっと思っていた『磁石』の疑問が解ける本や。と確信して、それこそむさぼるように読んだ。

かつて私は、これまた直感で『磁石』を手にとって浮かんだイメージを主人に伝えた事がある。それは「この『磁石』って、地球やん。地球の本来の姿はこれや。たぶん間違いないと思う。一つ一つの磁石って、たぶん私たち個人個人なんやで・・・」というものだった。

武道家であり神職にも就かれている、佐々木の将人さんと科学者である関英男博士の共著であるこの本は、全く違った分野に身を置く二人がそれぞれの話をしているのだが、不思議とうまく調和の取れた形にまとまっている本だ。

私にしてみればそれはあたかも『磁石』に使われている磁石一つ一つそのものだった。あの発明品に使われている磁石の一本一本が、佐々木の将人さんであり、関先生であり、主人であり、私である・・・といったイメージが思い浮かべられて仕方がなかった。不思議な感じがした。一本一本が独立していながらまとまる事で不思議なエネルギーが出てくる『磁石』。その磁石のあり方は、まるでこれから先の私たち個人個人のあり方、家族のあり方、地域のあり方、社会のあり方、国家のあり方、国際関係のあり方、そしてたぶん宇宙における地球のあり方までを問い掛けてくるような気がした。つづき

 


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