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1.えらいものを発明してしまった!(何これ??)                            

 それは、長女が産まれた頃(1994年8月)だった。私が実家へ帰っている間、主人は一人ただ自分のひらめきと直感の赴くまま(実は主人は新しい言語の教授方法でもできないかと思って、政木和三先生のパラメモリーを聴き、一週間ほどたつと、突然脳裏に強いイメージがわいてきたんだといっておりますが。)、H市内の磁石を作る工場をタウンページで探して磁石を分けてもらい、銅線をホームセンターでしこたま買ってきて、部屋で黙々と磁石に銅線を巻きつけていった。「とにかく十本・・・。」なぜかこの言葉が頭の中で浮かんではなれなかったらしい。

一ヶ月経って家に帰ってきた私に主人が見せてくれた物、それが『磁石』だった。

「なにこれ?」

「さあ・・・。自分でもわからん。ただ何かにせかされて作らされたって感じや・・・。」

「なにそれ。どういうこと???」

「でもなんでか知らんが、これ頭にのせてると妙に頭がスッキリするんよ。なんやと思う?」

「うーん。私は分からんわ・・・。でもなんか出てるのかなあ・・・。」

当時の私にはとりたてて「すごい発明だ!!!」とも思えず、むしろ「ああ、またいつものことね。」と何の疑問も持たず、そのまま過ぎていった。主人もまた、それ以来時々疲れたときなど頭にのせてみたりする事はあったが、時が経つにつれて次第にその『パパの磁石』の存在自体を忘れていってしまうのである。

実際、これまでも主人はひらめきで論文を一気に書き上げたりしていた事が時々あって、その内容などは、あとで自分で読み返してみては、「へエー。なるほどねえ。」と自分が書いたのにもかかわらず、まるで他人事のように捉えている事がよくあった。

私にしてみれば、今回のこの『磁石』にしても、きっとその類なんだろうな・・・。位にしか思えなかったのだ。

このなんでもない『磁石』との出会い。これが後の我が家にとってものすごい存在感を与える物になろうなど、このときの私たちには全く知る由もなかったのだ・・・。

その後私たちは、H市近郊で次女が一歳の誕生日を迎える頃まで四年弱過ごし、これまた不思議なご縁があって、現在住んでいる片田舎へ引っ越す事になる。

引っ越すとは言っても、主人はここからH市まで、一時間強かけて仕事に通うのが大変だからとの事で、週の三日はH市、後の四日はここでという、二重生活を三女が産まれるまで丸二年続ける事になる。

今から思い返してもかなり無謀な事をやっていたと思う。何せ三女は一体どこで産む事になるのか全く見当もつかなかったので、取りあえずH市内の病院にかかってはいたものの、万が一のときのために、地元の助産院にも事情を話して了解を得ていたぐらいだったのだ。

果たして、三女はこれまたよく私の事情を把握していてくれたのか、うまい具合にH市にいる間に、それも主人が帰ってくるまで、待っていてくれた。当時は、アメリカ人のオーペアの同居人もいたので、私にしてみれば「なぁに大丈夫・・・、なんて事ないわ・・・。」と気楽に構えていたのだが、私よりもアメリカ人の彼女のほうがパニックになってしまい、こちらを落ち着かせるほうがよっぽど大変だった。大笑いの状況である。

産後一週間ほど実家にお世話になって、平成11年のゴールデンウィーク明けにこちらに帰ってからは、ずっとここで住んでいる。

その間、やはりあの『磁石』のことは、お互いの記憶の端にもなかった。

オーペアの同居人もアメリカ人に始まって、ポーランド人、ドイツ人、イタリア人、と替わっていった。三女も1歳を迎え、その次のスペイン人の子がくる前あたりに、主人は夏休みだった事もあって、たまたま何の気なしに『磁石』を思い出し、その前年のクリスマス前にこれまたひらめきで立てたログハウスの中でその『磁石』を使ってみたのである。 つづき

 


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